山に囲まれたのどかな里、信楽。はるか昔、ここに日本の首都がありました。
聖武天皇の天平14年(742年)、国家安寧を願って大仏建立を行うため、紫香楽宮(しがらきのみや)の造営が始められました。
近年の発掘調査により宮町地区に紫香楽の内裏があり、黄瀬・牧地域に広がる各遺跡に役所や寺院、居住ゾーンが分布していたことがわかりました。市街地の規模は、平城京のほぼ半分くらいであろうと推測されています。
宮町遺跡から出てくる遺跡はヒノキの建築素材、美しい器など、他の遺跡とは比べものになりません。今日まで紫香楽宮とされてきた史跡は、甲賀寺では、と推測されています。
奈良から1日という距離、穀倉地帯が広がる近江の国の豊かさが首都移転の決め手になったと考えられます。また、大津から草津にかけての瀬田丘陵では大仏建立には欠かせない製鉄が盛んでした。
しかし、山火事や地震のため思うように造営が進まず、結局4年余りで平城宮へと、再び遷都されたのです。大仏は奈良で完成させられ、紫香楽宮は幻の都となりました。
▲宮町遺跡中央区 点線部分は朝堂があったと推測される部分
▲紫香楽宮に荷が運ばれてきたことを証明する木簡。 右から「丹後国熊野郡」「参河国渥美郡」「尾張国山田郡」の文字が読みとれる