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紹介
(2012.02.23)
745年奈良時代の天平年代に聖武天皇が一時期都を置かれ、平成12年(2000年)に宮殿跡が発掘された紫香楽宮(しがらきのみや)、宇治茶と地続きで日本に最も早くお茶が伝わり植えられたと伝えられる香りの煎茶で有名な朝宮茶、明智光秀本能寺の変で家康伊賀越えなど歴史に育まれた信楽やミシュランガイド三ツ星のMIHO MUSEUM(美術館)などがあります。また代表作「太陽の塔」で有名な岡本太郎氏が、1963年~1995年頃まで信楽で創作活動に取り組まれ、この地の陶芸家に大きな影響を残しました。鎌倉時代にさかのぼる日本六古窯のひとつ信楽焼は、戦国時代には侘茶の茶陶器として人気を博し、江戸時代には日用雑貨を多く産し、特に「お茶壺道中」に用いられた御用茶壺は徳川時代に毎年献上されるブランド品でした。この信楽で、私たちの協会は窯元散策ガイドを担当しています。
窯元散策では登り窯や窯元ギャラリー、工房、信楽伝統産業会館(信楽焼の歴史)などを訪ね歩くことができます。
信楽の街の特徴は、陶器の生産工場が生活の場と共にあることです。多くの陶器産地では、工場団地と生活の場とが分離していますが、生活の場の一部が工場と して使われ、家族が中心となり生産が行われています。ひとつの敷地の中に工場と住居が並立していて、住居の一部が工場の家もあります。
街中を歩くと、小さな工房が住宅と共に並ぶ地域があります。花器を作っている工場、茶道具や食器の工房、庭園陶器、愛らしい陶人形の工房などが並んでいる地域があります。街中の登り窯、屋外に展示されたたぬきの置物や植木鉢、「陶生町」「焼屋町」「大窯町」「問屋町」といった地域、道路に埋め込まれた陶板や陶製の道標が信楽らしさをかもし出しています。
日本最古の朝宮茶
(2012.02.17)
日本五大銘茶に数えられる「朝宮茶」は、約1200年前に最澄が中国より茶の実を持ち帰り、岩谷山(仙禅寺)に植えたのが起源とされています。厳しい自然条件と清浄な水や大気に育まれたお茶は香り高く、緑茶の最高峰とも言われる高い品質です。お茶としていただくのはもちろん、朝宮茶を使ったスイーツなどもおすすめです。
◇ お茶(煎茶)のおいしい入れ方 ◇
- 沸騰したお湯を茶碗に8分目ほど入れ70~80度に冷まします。
- 茶葉を入れた急須にお湯を注ぎ、約一分待ちます。
- 濃さが同じになるように、順番にお茶を回し注ぎ、最後の一滴まで出しきります。
※二煎目のときには、一煎目よりも熱めのお湯ですぐにさっと出します。
熱湯で入れると、アミノ酸の旨味より、タンニンの渋みが強く出てしまいます。お湯はぬるめで。
日本六古窯とは?
(2012.02.17)
中世から現在まで生産が続く代表的な6つの焼きもの産地(越前・瀬戸・常滑・信楽・丹波・備前)の総称です。昭和23年(1948)ごろ古陶磁研究家・小山冨士夫氏により命名され、平成29年(2017)「日本遺産」に認定されました。
豊かな良質の原料に恵まれた信楽では、中世(13世紀ごろ)から現在に至るまで、独自の進化を遂げながら焼きものづくりが続いています。
日本遺産(Japan Heritage)認定
「旅する、千年、六古窯 ‐火と人、土と人、水と人とが出会った風景‐」
八相縁起って何?
(2012.02.17)
信楽でどこへ行っても出会うのが、狸の焼き物。
なんとなく憎めないこの姿かたちは「八相縁起」と呼ばれる縁起を表しています。
「信楽=狸」というイメージは、昭和26年、昭和天皇が信楽に行幸された際、日の丸の旗を持たせた信楽たぬきを沿道に並べて歓迎しました。その光景を目にした昭和天皇が歌を詠まれたことが全国に報道され、定着したと言われています。
幻の都・紫香楽宮
(2012.02.17)
奈良時代中頃は、「天平文化」とよばれる国際色豊かな文化が華ひらいた時代です。同時に、天災や疫病、政争等で社会が不安定な時代でもありました。
紫香楽宮(しがらきのみや)は、今から約1280年前の天平14年(742)に恭仁宮(くにきゅう:京都府木津川市に所在)の離宮として造営が始まり、人々の平和を願う大仏を造立するための「甲賀寺(こうかでら)」が造営されました。
さらに天平17年(745)には、離宮から実質的に首都とされましたが、急激な社会変化は、放火の頻発を招くと共に大地震の発生が契機となって、天皇は紫香楽宮を離れ、その所在もいつしか人々の記憶から消え去りました。
昭和59年(1984)からの40回以上の発掘調査によって、信楽町北部の水田下から宮跡関連の重要な遺構や遺物が次々と発見されました。さらに平成12年(2000)には、最も北に位置する宮町地区で大規模な宮殿建物跡が見つかったことで、紫香楽宮の様子が明らかになりました。
▲宮町遺跡中央区 点線部分は朝堂があったと推測される部分
▲紫香楽宮に荷が運ばれてきたことを証明する木簡。 右から「丹後国熊野郡」「参河国渥美郡」「尾張国山田郡」の文字が読みとれる
窯元散策路
(2012.02.17)
信楽駅前から続く古いたたずまいの路。登り窯や無造作に積まれた古い火鉢、「陶生町」「焼屋町」といった町名が、陶都信楽ならではの風情をかもし出しています。道路に埋め込まれた陶板や陶製の道標を楽しみながら、点在する工房をめぐれば、きっとお気に入りのうつわに出会えるはずです。
数日間連続で焚き続けられる登り窯の立ちのぼる煙は信楽の風物詩でした。現在でもいくつかの窯が実際に使用されています。
焼物の町ならではの陶器の道標
紫香楽宮跡 <宮町遺跡>(しがらきのみやあと)
(2012.02.17)